「大変なのは知ってた」——でも、全然分かってなかった
育児が大変だということは、父親になる前からなんとなく知っていた。周りのパパたちが「寝られない」「休めない」と言っているのも聞いていた。でも正直なところ、「まあ、なんとかなるだろう」と思っていた部分があった。
実際に子供が生まれて、妻が仕事で出張に出るようになって、ワンオペで3人を見ることになって——初めて気づいた。「知っている」と「やってみる」の間には、想像をはるかに超えた差があった。
やってみて初めて分かった、育児のリアル
うちは妻の仕事の都合で、出張中は私が一人で子供たちの世話をする時間が長かった。掃除、洗濯、食事の準備、学校の送り出し——全部ひとりでこなして初めて、妻が毎日どれだけのことをやっていたかを思い知った。
「育児に参加している」と思っていた頃の自分は、実はほんの一部しか担っていなかった。お風呂に入れる、寝かしつけをする——それだけで「やっている」気になっていたのが恥ずかしい。
特に「やってみて初めて分かった」こと3つ
- 食事の準備は、作るだけじゃない。献立を考えて、買い物して、アレルギーや好き嫌いを把握して、片付けまでやって初めて「一食」が完成する。この一連の流れを毎日繰り返すしんどさは、やったことがない人には伝わらないと思う。
- 子供は「手が離れたら終わり」じゃない。小学生になれば楽になると思っていたが、宿題の確認、友達関係の悩み相談、習い事の送迎——形が変わるだけで、関わりはずっと続く。今でも中学生の子の話を夜遅くまで聞くことがある。
- 「自分の時間」は消える。子供が寝たあとに少しだけ自分の時間ができると思っていたが、そのころには自分も限界で、ただ倒れるように寝るだけ。あの「自分の時間がない感覚」は体験してみないと想像できない。
「参加している」と「担っている」は別物だった
育児に積極的に関わっているつもりでも、「参加している」状態と「担っている」状態はまったく別物だと気づいた。参加は、誰かが全体を回している中に入ること。担うのは、自分が全体を回すこと。
ワンオペを経験して、妻は毎日「担って」いたんだと分かった。私がいるときも、頭の中では常に家全体のことを考えていたはずだ。それに気づけたのは、自分でやってみたからに他ならない。
子供の成長と、気づきのタイミング
今となっては子供たちも大きくなり、自分でできることが増えた。それでも、完全に手が離れているわけじゃない。むしろ、小さい頃とは違う種類の関わり方が必要になってきている。
思春期の子供と向き合うのは、おむつを替えていた頃とはまた別の難しさがある。正解がないぶん、正直しんどいと感じることもある。でも、小さいころから一緒に過ごしてきたからこそ、今も話してくれる関係がある気がしていて——それだけは本当によかったと思う。
妻への感謝と、自分の母親への気づき
ワンオペで必死に回していた日々を振り返ると、妻への感謝はもちろん、自分の母親のことも頭に浮かぶ。私が子供のころ、母は何を感じながら毎日をこなしていたんだろうと、今さらながら考えることがある。
自分でやってみて初めて、その重さが少しだけ分かった気がした。「大変だったね」と声に出したのは、育児を経験してからずいぶん後のことだった。
まとめ:やってみることが、一番の近道
育児に「完全に分かる」はないかもしれない。でも、やってみることで確実に見えてくるものがある。パートナーの大変さ、子供の気持ち、自分の知らなかった力——全部、やって初めて気づくことだった。
- 「知っている」だけでは、相手の大変さは本当には分からない
- 家事・育児を「担う」経験が、家族への理解を深める
- 子供との時間は、形を変えながらずっと続いていく
- 気づきは遅くても、伝えることに遅すぎることはない
子供たちの存在が、私をここまで変えてくれた。それだけは間違いなく言える。
——子育てパパ.com編集部
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