「手伝う」じゃなくて「やる」になったとき、世界が変わった
育児に参加しているつもりだった。お風呂に入れたり、週末に公園に連れて行ったり。でも正直なところ、それは「手伝い」の範囲だったと思う。
妻が出張で家を空けるようになって、初めて「全部自分でやる」という状況に直面した。朝ごはんを作って、子供を送り出して、仕事をして、帰ってきたら洗濯・夕飯・お風呂・寝かしつけ。それを毎日。「知ってはいた」けれど、「やってみたら」全然違った。
母親が「当たり前」にやっていることの、本当の重さ
子供が3人いると、何かひとつ終わったと思ったら次のことが始まる。洗い物をしていたら「お腹すいた」、洗濯を畳んでいたら「これどこ?」。終わりがない、という感覚は、やってみて初めてリアルにわかった。
自分の母親のことを思い出した。共働きでも、家事の多くを担ってくれていた。子供の頃の自分は、それを「ふつうのこと」として受け取っていた。でも今の自分にはわかる。あれは全然「ふつう」じゃなかった。
毎日続けること、誰にも「ありがとう」と言われなくても続けること。その重さに、40代になってやっと気づいた。
育児の「見えていなかった部分」に気づいたこと
ワンオペをこなす中で、これまで妻がさりげなくやってくれていたことが少しずつ見えてきた。たとえば、こんなことだ。
- 子供が翌日必要なものを前日夜のうちに確認している
- 食材が切れないよう、冷蔵庫の在庫を頭の中で管理している
- 子供それぞれの好き嫌い・体調の変化を細かく把握している
- 家族の予定を先読みして、段取りをしている
どれも「言わなければ気づかれない」作業ばかりだ。家事や育児は「やった・やらない」が見えやすいものだけじゃない。「気にかけ続ける」こと自体が、ひとつの大きな仕事なんだと思い知った。
子供の成長とともに、ありがたみの形も変わっていく
今は子供たちも小学6年生と中学生になり、当時よりずいぶん手がかからなくなった。自分で起きて、自分で準備して、ご飯も一緒に作ってくれたりする。
それでも、「手がかからなくなった」と「大変でなくなった」はイコールじゃないと感じる。今度は子供の気持ちのこと、学校のこと、友人関係のことを気にかける必要が出てくる。心配の種類が変わるだけで、親でいることはずっと続く。
妻も、自分の母親も、ずっとそれをやってきた。改めてすごいと思う。
「ありがたみ」は言葉にしないと伝わらない
育児をやってみて気づいたことのひとつが、「ありがとうと言われる機会が少ない」ということだ。家族のために動いているのに、それが当たり前になると誰も言葉にしなくなる。
だからこそ、自分は意識して言うようにしている。妻が帰ってきたとき、いつも動いてくれているとき。「ありがとう」と「大変だったね」を、ちゃんと声に出して伝えること。
自分の母親にも、伝えられていなかった「ありがとう」がたくさんある。育児をやってみたからこそ生まれた感謝は、言葉にして届けたいと思っている。
まとめ:やってみて初めて、「当たり前」が見えてくる
母親のありがたみは、頭でわかっていても体でわかるのは難しい。自分の場合、実際にワンオペで育児をこなす経験をして、初めて「知っている」が「わかった」に変わった気がする。
育児に参加しているパパに伝えたいのは、「もっとやれ」という話ではなく、「やってみると見える景色が変わる」ということ。妻が、自分の母親が、どれだけのことを担ってきたか。その重さに気づいたとき、自然と感謝の言葉が出てくるようになった。
子供たちがいてくれるから、大変で、忙しくて、でも豊かだ。そう思えるようになったのも、育児に向き合ってきた時間があったからだと思っている。
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子育てパパ.com編集部
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