貴の岩ビール瓶で殴られる。スマホ鳴り日馬富士激怒。頭蓋底骨折で翌日相撲の不思議。

貴の岩ビール瓶で殴られる。スマホ鳴り日馬富士激怒。頭蓋底骨折で翌日相撲の不思議。
sumou 貴の岩ビール瓶で殴られる。スマホ鳴り日馬富士激怒。頭蓋底骨折で翌日相撲の不思議。
横綱は品位ある強さの象徴

「横綱がまさか???」

と驚いた。ビール瓶で力士を殴り頭蓋底骨折(とうがいていこっせつ)だという。

まだ、調査中ということのようだがこれが本当だと大変な問題だ。数年前だろうか、相撲界では八百長疑惑、親方の弟子への暴行、など不祥事が続き、大きな問題となった。

その後、力士の活躍、相撲ファンの応援で人気が戻ってきていたところだけにもし本当なら残念な事件だ。

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今回の事件を知った私の驚き3点。

横綱日馬富士が貴ノ岩へ暴行したとされるのは鳥取での秋巡業でのモンゴル人力士の宴席だという。日馬富士の優しそうな笑顔にはそんなことするようには見えないという安心感がある。

メディアの放送だけでは、真相はわからないので言及しないが、この事件での私の驚きが3つあった。

 

  • 貴の岩が翌日の取り組みを行っていたということ。
  • 人をビール瓶で人を殴れるものか?
  • 事件があった日~事件が明るみに出るまでのタイムラグ

 

貴の岩が翌日の取り組みを行っていたということ。

頭蓋底というのは非常に重要な場所である。その骨折で相撲が出来るものか?という驚きがある。

頭蓋骨底とは、頭の脳みそが収まっている部分なので底を骨折するというのは想像が出来ないだが、一般人なら即病院送りだろう。

もしかしたら・・・。というような怪我だと思うんだが、貴の岩は翌日相撲をとっていたという。本当なら(骨折も、骨折で相撲をとるということも)とても信じがたいことだ。どれだけタフなんだろうか。

 

頭蓋底骨折と髄液漏れの疑いがどれほどの怪我か?

頭蓋底とは?

頭蓋骨というのはひとつのヘルメットのような骨ではなく複数の骨のパーツがパズルのように組み合わさってできている。その中の蝶形骨(ちょうけいこつ)側頭骨(そくとうこつ)後頭骨(こうとうこつ)という骨が組み合わさって脳みそを乗っける棚のような部分を言う。

参照

sumou 貴の岩ビール瓶で殴られる。スマホ鳴り日馬富士激怒。頭蓋底骨折で翌日相撲の不思議。
頭蓋底は脳を収める重要な部分

脳みそを乗っけている棚なのでこれが傾くだけでも自律神経不調をきたすといわれている。

カラダが歪む事で頭の位置もずれると、脳からの信号が正しく伝わらなくなり原因がはっきりしないが体に不調があるという状態になる。

 

もうひとつの症状。髄液漏れ。

髄液(ここでいうのは脳脊髄液)は、これもまた脳からの信号を全身に送る役目と脳を守るという重要な働きをしている。交通事故の鞭打ちなので髄液漏れなどを起こすと、慢性的な頭痛や不安などの精神障害も起こるようになるという。

日馬富士の酒癖の悪さは角界でも有名だという証言もある。

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人が人をビール瓶で人を殴れるものか?

ゲンコツでも結構痛い。

ビール瓶ですよね?

信じられないとしかいえない。もしかしたら?という一線を越えてはならない部分というのは、宴席でもし酔っていたとしても、判断できそうなものであるし、ビール瓶で殴るというのは、普段から当たり前の行為になっている人でなければ、カッとなったとしてもしないと思うのだが。

あれくらい大きい人たちは、我々の、挨拶代わりの肩パンくらいの感覚なのだろうか。

相撲協会大丈夫?事件があった日から事件が明るみに出るまでのタイムラグ

数年前の八百長疑惑、親方暴行事件などで低迷していた相撲協会。

役員を入れ替え体制を変え、力士とファンのがんばりでやっと盛り上がりを見せてきたときにこの事件。(真相はわからないが)

事件が明るみに出るまでのタイムラグを考えると、閉鎖的な世界での悪い体質がまた出てきたのだろうか?と勘繰りたくなってしまうというものだ。

意図的な「隠し」なら、問題である。

  • 10月26日 事件が起こったとされる日
  • 11月4日  事件表面化

まとめ。今回の事件から子供へ伝えたいこと

噂されている事件の内容が真実だとはいえないということを前提として思う事。

私の息子は空手を習っている。体力がついてくれば、未経験者との子供の間にずいぶんな差が出来るが、自分がいる空手の世界が普通でない事を知り、それが当たり前の感覚として未経験者の子に接してはならないと気をつけなければいけないと思う。

子供が人に暴行を加えるための武道を慣わせているわけではない。思いやりを持ってもらうため。正々堂々と生きてもらうため。ミスがあってもそれを認めて、正す姿勢。

子供には身に付けてもらいたい部分である。

空手の稽古とは、「痛みを知り人の痛みを思いやる心を養う」べきものだが、痛みに慣れ、人に痛みを与えるようにはならないでほしいと願うばかりである。

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